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  • お金も仕事も大事!私がママとして1番大事にしてきたものは違うものだった

    子どもが小さい時期って、「大変」「自由がない」「自分の時間がない」って思う人も多いと思う。

    でも私は、いつもこう思ってた。

    「そんなの、ほんの数年じゃん」って。

    子どもたちが小さいうちは、「子どもに合わせた働き方」を選んできた。

    もちろんお金に余裕があったわけじゃないし、将来のことを考えると不安もあった。

    でも私は、“今”を大切にしたかった。

    一緒にいられる時間は、あとから取り戻せないから。

    子どもが小さいうちに「貯金しなきゃ」「仕事も頑張らなきゃ」って思う気持ち、よくわかる。

    でも、その数年間って、本当に特別な時間だと思う。

    泣いて、笑って、甘えてくるあの感じ。

    ママじゃないとダメって言われるあの瞬間。

    それって、ある日突然終わるんだよね。

    だから私は、できる限りその時間を一緒に過ごしたかった。

    家計はギリギリだったし、贅沢なんてできなかったけど、

    子どもたちと過ごした時間には、一ミリの後悔もない。

    今は「産休」「育休」「時短勤務」って制度がある時代。

    それは本当にありがたいし、必要な人にはすごく助かる仕組みだと思う。

    でも私は思うんだ。

    「制度を使う前に、自分の働き方や生き方を、自分で選ぶって意識も大事なんじゃないか」って。

    日本にいれば、そうそう命の危険なんてない。

    だったら、その“たった数年”くらい、

    自分のペースを少しゆるめてでも、子どもに寄り添う時間を大切にしてほしい。

    お金も、仕事も、そりゃあないと困る。

    でも、どっちも“一番”じゃない。

    本当に大事なのは、自分の心の安定と、

    目の前にいる小さな命と、どう向き合うか。

    私は“ただ産んだだけ”かもしれないけど、

    今日までグレずに、まっすぐ育ってくれた息子たちを見ていると、

    やっぱり思う。

    「小さいのなんて、ほんの数年」

    「どうかその時間を、もっと楽しんで、噛みしめてほしい」

  • 私が『頼れる大人』でいるために、大切にしてきたこと

    前回”子どもにとって頼れる大人でいたい“って妊娠中から思っていたって話を書いたので

    今日はその続きをちょっとだけ。

    私が思う“頼れる大人”って、

    子どもが困ったときや悩んだときに、自分の選択に一歩踏み出す力を出せるように、

    そっと背中を押してあげられる存在。

    振り返ったときに「いつも味方でいてくれたな」って思ってもらえるような、

    そんな安心感を与えられる人でいたかった。

    その「味方」が、私でよかったって思ってもらえたら、それだけで十分なんだよね。

    私はいつも思ってた。

    この子がたくさんの人に愛されていくために、

    “今、私にできることってなんだろう?”って。

    子どもたちが生きていく中で、

    いろんなことに挑戦して、時には失敗して、

    その全部が「経験」になって、また前に進めるように。

    私は、そんな経験を重ねていけるように、環境や声かけを意識してきたつもりです。

    そうやって日々の関わり方を考えていたけれど、

    もうひとつ、私が大切にしてきた想いがあります。

    それは、子どもたちが「社会の中で生きていく」ために、

    “男の子として”“人として”、

    ちゃんと女性や命に対する尊さを感じられるように育ってほしいということ。

    だから私は、子どもたちの前で、

    「たくさんいる大人の中のひとり」として、できるだけ“ありのまま”でいようって決めてた。

    それは、私が女性で、子どもたちが男の子だったから。

    こう言うと、もしかしたら男女差別って思われるかもしれないけど、

    やっぱり性別が違えば、身体のつくりや役割にも違いがある。

    子どもたちが大人になって“性の違い”を感じるようになったとき、

    女性の身体には命を育てる機能があること、

    それってとても大切なものなんだって、ちゃんと伝えたかった。

    まだまだ書きたいことはたくさんあるけど…

    今日はこのへんで。

    また少しずつ、言葉にしていきます。

  • 19歳で母になった私が母として決めたこと

    今日は歯科衛生士としてじゃなくて、母としての話。

    私が妊娠したときからずっと決めていたことがあります。

    それは、

    「子どもにとって、1番頼れる大人でいること」。

    …この言葉に込めた意味は、また次回の投稿で。

  • 歯科衛生士になったばかりの私が2週間で退職した理由

    歯科衛生士として働き始めたばかりの私は、

    「やっとここまで来た」っていう達成感と、

    「ちゃんとやっていけるかな」という不安を抱えながらスタートしました。

    でも、現実は想像よりもずっとハードで、

    気づけば、たった2週間で退職という選択をしていました。

    今回は、そんな私の“はじまりの失敗”と、

    そこから見えたこと、気づけたことについて書いてみようと思います。

    私が国家試験を受けたのは令和2年。

    ちょうどコロナ禍の真っ只中だった。

    最初に就職したのは、歯科衛生士の人数も多くて、規模も大きめの医院。

    でもコロナで現場はバタバタしていて、

    入職前に伝えられるはずのことがまったく共有されてなくて、本当に大変だった。

    私はその職場を2週間で辞めることになった。

    辞めようか悩んでるってリーダーに話した次の日、

    朝出勤したら直属の上司から

    「辞めるんでしょ?いつにする?今日でもいいのよ」って言われて――

    あ、もう私辞めることになってるんだ、って思った。

    驚きと同時に、なんだかスッと冷めてしまって、

    その場で「じゃあ今日辞めます」って伝えた。

    とにかく、その上司から離れたかった。

    そのとき思ったのは、

    大きい病院ってやること本当にたくさんあるんだなってこと。

    環境が合わなかったとはいえ、

    “こういう職場では自分は消耗してしまう”って早めに気づけたのは良かったと思う。

    いきなり辞めちゃったのと、ちょうど緊急事態宣言で子どもたちも家にいたから、

    次の職場は焦らずゆっくり探そうって思ってた。

    離婚してから、子どもたちとこんなに長く一緒にいる時間ってなかったから、

    毎日ゲームしたり、ごはんの片付けをジャンケンで決めたり、

    1ヶ月くらい、すごく楽しく過ごせた。

    あの時間は、私にとって大切な“リセット”だったと思う。

    次の職場を探すときに決めていたのは、

    終わりの時間が18時であることと、社会保険に入れること。

    その2つは絶対条件だった。

    子どもとの時間を大切にしたい。

    無理して働くより、長く続けられるほうが大事だと思った。

    でも、次の職場もやっぱり忙しくて、

    なにより辛かったのは、私にだけパワハラのような態度を取られていたこと。

    スタッフの人数が少なかったから逃げ場もなくて、

    毎日どんどん気持ちがすり減っていった。

    そんな中で、長男が体調を崩して入院。

    次男をひとりにさせる時間も増えて、

    「母親として私は今、何を一番大事にしたいんだろう」って本気で悩んだ。

    そしてある朝、とうとう体が動かなくなってしまって、

    仕事に行けなくなった。

    そのときは、友達が助けてくれた。

    話を聞いてくれて、「逃げてもいいんだよ」って言ってくれて、

    その言葉に本当に救われた。

    長男との時間、次男との時間。

    それぞれと向き合う中で、

    “今あることに感謝する”ってこういうことなんだ、

    “おかげさま”って言葉の意味ってこういうことなんだ――

    そんなふうに思えた。

    心が保たなくて、しんどいときもある。

    でも、そんなときこそ「感謝の気持ち」が大事なんだって、

    今ならあの頃の自分に伝えたい。

  • 歯科衛生士になるまで③

    ~3年生の実習と就活、そして国家試験へ~

    3年生になったとき、「もう国家試験に向けての勉強が始まるんだ…!」とラストスパートを実感した。

    正直、2年生のときは少し気が抜けてしまっていたから、そのツケが回ってきたような感覚もあって、不安が大きかった。

    まわりの友達はどんどん勉強モードに入っていくのに、自分だけ取り残されているような焦りもあった。

    それでも、時間は止まってくれない。

    授業は1・2年生で学んだ内容の総復習に入り、当時の講師の先生たちが再び教えに来てくれる機会もあった。

    「もう一度丁寧に確認しよう」と思いながら、私はとにかく過去問を何度も解いて、間違えたところを復習して、また解いて…という日々を過ごした。

    3年生には卒業研究もあったけれど、私はグループ作業に恵まれていて、パソコンが得意な仲間たちがどんどん進めてくれた。

    自分が苦手なところを支えてくれる存在がいることのありがたさを、あらためて実感した。

    学校では毎月「校内模試」が実施されていて、国家試験と同じ合格ラインを超えられると、次の模試まで登校しなくてもいいというルールがあった。

    「絶対その点数を取る!」という気持ちで、毎回の模試に全力で取り組んでいた。

    プレッシャーもあったけれど、「その分自由な時間が手に入る」と思うと、モチベーションにもなった。

    そして迎えた国家試験当日。

    「もうこの日が来たんだ」と思うと同時に、「ここまであっという間だったな…」という気持ちも込み上げてきた。

    今までやってきたことを信じて、「これだけ勉強してきたんだから大丈夫!」と自分に言い聞かせながら、

    とにかく慎重に、落ち着いて、一問ずつ確実に解いていった。

    合格発表はネットで確認した。

    自分の番号を見つけた瞬間、「よかったーーー!!!」と叫びながら泣いた。

    「これでやっと、歯科衛生士になれるんだ」

    いろんな思いがこみ上げて、体の力がふっと抜けたのを今でも覚えている。

    振り返ると、本当に濃くて、必死な3年間だった。

    子育てとの両立で、思うようにいかないこともたくさんあったけれど、

    「歯科衛生士になりたい」という気持ちが、ずっと私の中にあったから、あきらめずに進めたんだと思う。

    あの頃の私に、「よく頑張ったね!」と、今の私が声をかけてあげたい。

    次は「歯科衛生士として働き始めた頃」の話を書いてみようと思います。

    最後まで読んでいただきありがとうございました!

  • 歯科衛生士への道② 〜2年生で感じた現実と成長〜

    1年生の頃はまだ基礎的な内容が多く、楽しく学びながら成績も順調に取れていた私。

    でも、2年生に上がると同時に空気がガラッと変わりました。授業内容が一気に専門的になって、わかる科目とわからない科目がハッキリしてきたんです。「これはもう、楽しいだけじゃやっていけないぞ…」と、早い段階で気づいたのを覚えています。

    そんな中で始まったのが実習。今回はまた違う町にある診療所での実習だったんですが、場所が変わると器具も診療の流れもまったく違っていて、それを覚えるのが新鮮で楽しかったです。さらに、デイサービスにも見学に行く機会があり、そこで出会った介護職の方々が本当に優しくて穏やかで…。あの現場の空気感は今でも尊敬の気持ちと一緒に残っています。

    夏のお盆明けからは、大学病院での実習も始まりました。

    特に印象に残っているのは口腔外科の女医さん。毎日難抜歯をこなしている姿は本当にかっこよくて、腕がたくましくて、「毎日こういう現場で働くとこうなるんだな…」って驚きました。大学病院の先生たちは優しくて丁寧だったけれど、歯科衛生士さんたちはとても厳しくて…。私たちは3人グループで実習を受けていたんですが、途中で1人来なくなってしまったりと、ちょっとした波乱もありました。でも振り返ると、その経験も含めて本当に良い思い出です。

    とはいえ、大学病院の実習はやっぱり大変でした。千葉から飯田橋まで毎日通っていたので、通学だけでも体力勝負。さらに、毎回提出する日誌の内容に不備があると、何度も書き直しになって…。体力的にも精神的にも限界を感じることもありました。

    それでも今、当時の自分に声をかけるとしたら「全然大丈夫!!」って笑って言いたいです。不安もプレッシャーもたくさんあったけど、それでも諦めずにやり切った2年生の私。もっと自信を持って、胸を張っていいんだよって伝えたいです。

    次回は3年生のときのことを書こうと思います。最後まで読んでいただきありがとうございます!

  • 歯科衛生士1年生、初めての実習で得た“自信”と“成長”の話

    1年生後半になって、ついに実習が始まった。

    私は、すごく楽しみだった。

    学校ではクラスの子たちと相互実習を繰り返して、器具の持ち方やスケーリングの手技も少しずつ形になってきてた。

    それが、いよいよ現場で本物の患者さん相手にどう活かされるのか。

    ワクワクしないはずがなかった。

    もちろん実習先によっては「見学だけ」って話も聞いてたから、

    「何もやらせてもらえなかったらつまんないな〜」って思ってた部分もあるけど、

    それでも私は、“現場のリアル”が見られるのが楽しみで仕方なかった。

    最初の実習先は、町の歯医者さん。

    だけど分院もある法人で、先生も歯科衛生士も常勤で3〜4人。

    40代以上のベテランの衛生士さんたちは本当に優しくて、毎日行くのが楽しかった。

    別の学校の実習生も一緒にいたから、

    いろんな人からアドバイスをもらえたり、一緒にランチしながら情報交換したり…

    まるで社会に出たみたいな雰囲気が心地よかった。

    でも、そんな実習生活にも「忘れられない瞬間」があった。

    ある日、とにかく診療がめちゃくちゃ忙しかった。

    誰も手が空いてなくて、でも時間はどんどん迫ってくる。

    受付の人が私のところに来て言った。

    「ねえ、歯周検査できない!?やってもらえない!?」

    急にふられた初めての“本番”。

    もちろん不安だったし、学校でやってたとはいえ、患者さんに実際に触れるのは全然違う。

    でも他にやれる人がいない。

    「もう、学校の相互練習だと思ってやるしかない!」

    受付の人が横についてくれて、患者さんにも

    「この子、まだ学生なんです。時間かかるかもしれないですけど、多めに見てあげてくださいね」って声かけてくれた。

    患者さんも優しい人で、にこっと笑ってくれて。

    私はもう、手汗びっしょりになりながら、ひとつひとつ確認して、時間をかけながらも歯周検査をやりきった。

    実習を通して私は、いろんな経験をさせてもらった。

    はじめは全然できなかったアシスタントも、

    毎日繰り返していくうちに、少しずつ手順が身について、

    “レベルアップ”していく感覚が楽しくなっていった。

    座学だけでは理解しきれなかった知識が、

    実際の患者さんを目の前にしたときに

    「あ、これってこういうことだったんだ」って繋がっていく瞬間があって、

    そのたびに、私の中に少しずつ自信が積み上がっていった。

    でももちろん、つらいこともあった。

    毎日書かなくちゃいけない実習日誌は、A4より大きいサイズで2枚。

    最初はよかったけど、途中から正直ネタ切れ。笑

    さらに、実習から帰ってきてからの家事。

    ご飯を作って、子どもたちと話して、一緒に寝落ちなんてしょっちゅうだった。

    楽しかった。

    でも、やっぱり「学校とは違う疲れ方」だった。

    それでも、最初の実習先が優しい人たちだったこと、

    たくさん経験させてもらえたことに私はすごく救われた。

    「私、歯科衛生士できるかもしれない」

    そう思えたことで、もっと頑張ろうと思えたし、

    いつか私も、実習生が来たときには

    たくさん経験させてあげられるような人になりたい、って思えた。

    次回は…

    少しずつ現場にも慣れてきた2年生の体験を書いていこうと思います。

  • 歯科衛生士になるまで〜1年生編〜

    歯科衛生士になるって決めたとき、

    私の中ではもう「やるしかない」って気持ちが固まってた。

    不安よりも、「この道で生きていく」っていう覚悟のほうが大きくて、

    入学してからの毎日は、想像以上に楽しくて前向きな日々だった。

    年齢差が不安だったけど、みんな優しかった

    クラスメイトの多くは10歳以上年下。

    最初は「浮いちゃうかな…」「馴染めるかな…」って不安だった。

    でも、みんな本当に優しくていい子たちで、

    変に気を遣われることもなく、自然に話せる雰囲気をつくってくれた。

    そのおかげで、年齢を気にせず授業も学校生活も、

    素直に楽しめた。

    子育てと勉強と、毎日のリズム

    朝は子どもたちを送り出してから通学。

    電車に揺られて教科書を開く時間が、逆にホッとできる貴重な時間だったりもした。

    放課後はすぐ母モード。

    夕飯・お風呂・寝かしつけ。

    それが終わったあと、やっと勉強時間が取れる…そんな毎日。

    でも、どんなにバタバタしていても、

    「今日も頑張ったな」って思える毎日が、なんだか嬉しかった。

    少しずつ、手応えが生まれてきた

    専門用語ばかりの授業も、最初は頭がついていかなかったけど、

    自分なりに工夫してノートをまとめたり、空いた時間にひたすら復習したりしてるうちに、

    「わかる」が少しずつ増えてきた。

    その小さな“わかる”の積み重ねが、少しずつ自信に変わっていった。

    おわりに

    1年生の私は、いつも全力だった。

    だけど、それがつらいとかしんどいじゃなくて、

    “毎日が楽しかった”って、今でも胸を張って言える。

    次は、現場に出て実習が始まった

    2年生の頃の話を、書いてみようと思います。

  • 離婚から始まった私の挑戦。歯科衛生士になるまでの道のり

    子供たちをとにかく大きくしなくちゃ。

    それが全てだった。

    自分のことなんて後回しで、毎日ひたすら頑張ってた。

    最初は看護師になろうと思ってた。

    でも学校説明会に行ってみたら、なんか違うなって感じた。

    しっくりこないって、こういうことなんだなって。

    そんな時、職場に歯科衛生士の資格を持ってる女性が一時的に来てて、

    「歯科衛生士なら求人多いし、夜勤もないから子育てしながらでも働けるよ」って教えてくれた。

    小さい頃から実は歯医者さんが好きだったことを、その時ふと思い出した。

    「歯科衛生士」って職業があることを、その時初めて知って、

    すぐに専門学校の見学に行ったら、今度はしっくりきた。

    ああ、これだなって。

    歯科衛生士になるって決めてからは、離婚も含めて全部逆算して動いた。

    子供たちのために、そして自分の人生をやり直すために。

    次回は、子育てと両立しながら通った歯科衛生士の専門学校生活について書いてみようと思います。

    時間もお金も余裕がなかったけど、どうしても夢をあきらめたくなかった私のリアルな日々を、少しずつ綴っていきます。

  • 子どもたちと生きると決めた私の選択

    「この人と一緒にいても、何かあったとき私を守ってくれない」
    そう思った瞬間、私の中で何かが静かに終わった。

    そこからは、もう後戻りしないと決めた。
    離婚を前提に、どうやって子どもを育てていくか。
    どうやって自立するか――未来のための逆算が始まった。

    子どもたちにとって、安心できる生活をつくりたい。
    私自身も、ただ耐える人生じゃなくて、自分の足で立てる仕事をしたい。
    そう思って「歯科衛生士になる」と決めた。

    離婚はゴールじゃない。
    むしろ、そこから「私の人生を生きる」スタートだった。


    次回は、歯科衛生士の勉強を始めたときのこと。
    どんな気持ちで、どんな毎日を送っていたかを綴ってみようと思います。