歯科衛生士として働き始めたばかりの私は、
「やっとここまで来た」っていう達成感と、
「ちゃんとやっていけるかな」という不安を抱えながらスタートしました。
でも、現実は想像よりもずっとハードで、
気づけば、たった2週間で退職という選択をしていました。
今回は、そんな私の“はじまりの失敗”と、
そこから見えたこと、気づけたことについて書いてみようと思います。
私が国家試験を受けたのは令和2年。
ちょうどコロナ禍の真っ只中だった。
最初に就職したのは、歯科衛生士の人数も多くて、規模も大きめの医院。
でもコロナで現場はバタバタしていて、
入職前に伝えられるはずのことがまったく共有されてなくて、本当に大変だった。
私はその職場を2週間で辞めることになった。
辞めようか悩んでるってリーダーに話した次の日、
朝出勤したら直属の上司から
「辞めるんでしょ?いつにする?今日でもいいのよ」って言われて――
あ、もう私辞めることになってるんだ、って思った。
驚きと同時に、なんだかスッと冷めてしまって、
その場で「じゃあ今日辞めます」って伝えた。
とにかく、その上司から離れたかった。
そのとき思ったのは、
大きい病院ってやること本当にたくさんあるんだなってこと。
環境が合わなかったとはいえ、
“こういう職場では自分は消耗してしまう”って早めに気づけたのは良かったと思う。
いきなり辞めちゃったのと、ちょうど緊急事態宣言で子どもたちも家にいたから、
次の職場は焦らずゆっくり探そうって思ってた。
離婚してから、子どもたちとこんなに長く一緒にいる時間ってなかったから、
毎日ゲームしたり、ごはんの片付けをジャンケンで決めたり、
1ヶ月くらい、すごく楽しく過ごせた。
あの時間は、私にとって大切な“リセット”だったと思う。
次の職場を探すときに決めていたのは、
終わりの時間が18時であることと、社会保険に入れること。
その2つは絶対条件だった。
子どもとの時間を大切にしたい。
無理して働くより、長く続けられるほうが大事だと思った。
でも、次の職場もやっぱり忙しくて、
なにより辛かったのは、私にだけパワハラのような態度を取られていたこと。
スタッフの人数が少なかったから逃げ場もなくて、
毎日どんどん気持ちがすり減っていった。
そんな中で、長男が体調を崩して入院。
次男をひとりにさせる時間も増えて、
「母親として私は今、何を一番大事にしたいんだろう」って本気で悩んだ。
そしてある朝、とうとう体が動かなくなってしまって、
仕事に行けなくなった。
そのときは、友達が助けてくれた。
話を聞いてくれて、「逃げてもいいんだよ」って言ってくれて、
その言葉に本当に救われた。
長男との時間、次男との時間。
それぞれと向き合う中で、
“今あることに感謝する”ってこういうことなんだ、
“おかげさま”って言葉の意味ってこういうことなんだ――
そんなふうに思えた。
心が保たなくて、しんどいときもある。
でも、そんなときこそ「感謝の気持ち」が大事なんだって、
今ならあの頃の自分に伝えたい。
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